虹いくたび 川端康成 1950

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虹いくたび虹いくたび 川端康成 1950

みんな母の違う三姉妹 百子、麻子、若子を描いているのだが、最初に登場する麻子が主人公かと思ってしまうのだが。途中から、戦争の影を強く背負った百子が中心に描かれる。百子には、どこかに愛をなくした寂しさを感じるし、それに一人で優しさを拒絶している。戦争で死んでいった恋人の言葉がトラウマとなり、次々と美少年を求めて、そして捨てて行く。男に対する憎しみだろう。父に対しても、母とは結婚せず、母が自殺して、父の家に引き取られた。妬み、嫉妬がもともとあり、恋人の関係からそれが強くなっているようにも見える。

麻子には戦争の影は少ない、母と父の愛情を受けてまっすぐ育ったように描かれている。京都から東京へ帰る途中、琵琶湖で虹を見た麻子にはその後も虹と縁が深い。ミレーの虹の絵、東京の虹。麻子は夏二と幸せになりそうな予感があり、やっぱり麻子は祝福されているのだろうと百子は思うのだろう。
若子は、母(芸妓)の境遇を知りながら、それでも父親に会いたい気持ちがあるのだろう。そして姉たちへの遠慮がある。

この小説の舞台は最初、列車の中で琵琶湖にかかった虹であるが、おもに京都が描かれそして熱海と箱根も。

恋人の乳椀というものを考え出す川端はすごいと思うんだが。(昔はそいうのがあったのかも)、何かエロティックでいいんだが。金の首輪もそうだ。どうして百子は金の首輪をつけていたのだろう。

なぜ啓太は、百子にあんなことを言ったのだろう。百子を抱いた後に、ああ、つまらない。しまった。と。それに深く傷ついた百子は、美少年を求めて、次々と捨てていく。
啓太は百子と会う前に、娼婦とたわむれてくることが多かった。しかも、それを百子に話すのだった。百子は啓太の真意を計りかねて苦しんだ。それは、山の音の、修一のように妻の菊子よりももっと、セックスに長けた妖艶な女性がいいのだろうか。
それともこれは、啓太が百子に嫌われるように、自分に思いを残さないように言った言葉なのだろうか。それにしてもこの言葉は、女性を傷つけるだけの言葉のように思えるのだが。この言葉を発する前に、乳椀の型取りをするのも不思議なんだが。

山の音と共通するのに堕胎がある。百子は自殺した竹宮少年の子供を孕んでいた。しかし、啓太の父に促されるように、何の抵抗もなく堕胎してしまう。百子は虹を見ていないが、少年の死、堕胎を乗り越えて強く生きていきそうな、そしてそろそろ啓太から負った深い傷を癒されて生きそうだが。川端はそこに戦争で傷ついた女性がもっとも強く生きていくのを望んでこの小説を書いたかもしれない。

水原常男は川端自身の感情を描いているのだろう。二人で会話していく間に、水原は菊枝に何の魅力も感じないことに気付き、死んだ妻が水原のうちにまざまざと生きて來る。と描かれているように、結婚した亡き妻への愛を実感するのだろうが、本当にそうだろうか。亡くなったものに対する美しさを愛でているのかもしれない。それか倫理的なものを除けば、過去に美しいと感じた人物に、後に会って抱く幻滅感を描いている部分もあるのだろうが。

三人の異母姉妹については、同じ一人の母から生まれた子供たちでも、それぞれ父母に似ながら、しかもそれぞれ違っていて不思議だが、水原の場合は、三人の娘がそれぞれ別の母に似て、いちじるしくちがいながら、しかも一人の父に似ているから、なお不思議と言えば言えた。
こんな感情を抱く川端にも親近感が湧く。

若子は、このまま母と一緒に京都にいるだろう、子供を育てないで、太田に預けている姉の人物像が気になるのだが、描かれていない。

どこか古都や美しさと哀しみと似たストーリー仕立てではある。この作品の方が古いのである。ただ余韻を残す、もしくは最後まで語られないストーリーはすこし未消化気味になるのだが。そして話は意外と同じような内容になってしまっているのではないかと思ってしまう。そこに彼のストーリーテラーとしてのそれほどの才能を感じない。しかしやっぱり文章の美しさ、もの哀しさ、日本的な情緒を表現するには長けていたと思う。



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虹いくたび(1950年3月-1951年4月)は、 美しさと哀しみと(1961年1月-1963年10月) 古都(1961年10月-1962年1月)よりも古い