酔いどれ天使 Drunken Angel 1948

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酔いどれ天使 Drunken Angel 1948

監督: 黒澤明
出演: 志村喬, 三船敏郎, 山本礼三郎, 中北千枝子, 千石規子, 笠置シヅ子, 久我美子

あらすぎは、飲んだくれの医師の眞田は、小さな診療所を営んでいた。彼は飾り気のない言葉と対応であるが、人情味に溢れた医師である。拳銃に撃たれたやくざの松永がやってきた。ヤミ市の顔役松永は、何かギラギラして、寂しげなやくざである。表向きは強がって怖い顔をしているが本当は優しいやつである。眞田は、松永が結核にかかっていることに気づき、いろいろと気遣うようになる。

映画の舞台としては、眞田の診療所の前にあるどぶ川が印象的である。何かぶくぶくと空気が浮かんでくる、ゴミ捨て場でもある。そこは、戦後の焼け跡で、これから復興をして行く町である。このどぶ川が、戦後の混乱した状況の象徴でもある。

主人公は眞田であるが、当時の観客は松永を支持した。松永を演じている三船敏郎の混沌、焦燥感、絶望感が一体となって力強い野性味が表現されているにも関わらず奥底にある優しさが伝わってくるのである。松永はただ破滅して行くだけではなく、自分が岡田に刺されることで、岡田の元の女、美代を助けることが出来ることも感じていのではないだろうか。そこに多くの共感を生んだのだろう。

眞田は、貧しい者や困っている者をほって置けないたちである。それでも自分は飲んだくれである。医療用のアルコールまでお茶で割って飲む。しかし楽しい酒なのか悲しい酒なのか伝わってこない。眞田の屈折した心があまり描かれていない。当初、真面目な医師を描こうとしていたからだろうか。眞田が酔いどれになる心の痛みが伝わってこないのである。、また助けた美代が近くにいて、婆やもいる。どこか孤独や敗北感を紛らわさなくていけない背景が伝わってこない。また美代をかくまっているんだが、少し引いて彼女を見ている。眞田の生の人間性が伝わってこないのが残念。

この映画にはいろいろな人生の縮図とその対比が描かれている。
結核を恐がり治療をしなかった松永と眞田の言葉に従い結核をなおした女学生。そしてしがない診療所で働く眞田と大きな病院で成功した高浜。また松永の女だった,ダンスホールで働く奈々江と最後に一緒に故郷で療養しようと誘う居酒屋の女のぎん。現在のヤミ市の顔役松永と出所したきた兄貴分の岡田。

結核治療薬が当時あったかどうかわからないが、二人の結核患者は対照的な結末を迎える。松永は岡田に勧められて酒を飲み、また自分の女やしまを奪われて自暴自棄になり、破滅して行く。女学生は、きちんと眞田の言うことを聞いて結核を治して行く。
三船は死んで行った過去の人間を表現し、女学生が未来の希望であるようだ。
女学生こそが日本の希望であり、戦争で傷ついた日本がいかに立ち直って行く象徴でもあるようだ。

映画の中で使われた当時の音楽も魅力的である。笠置シヅ子が歌たうジャングルブギ。この曲は、作詞が黒澤明で、作曲が服部良一である。ブルースのギターが、ため池の向こうから毎晩聞こえてくる。そして出獄した兄貴分の岡田が登場して人殺しの歌をギターで弾く。この曲がなかなかいい。女の部屋にあるオルゴールから流れるカッコウワルツもなにか時代を感じさせる。

この作品が黒澤監督と三船敏郎のコンピの最初の映画、これから赤ひげまでこのコンビは続く。

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