ソロモンの偽証 事件/裁判 2015

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ソロモンの偽証 事件/裁判 2015

監督: 成島出
出演: 藤野涼子, 板垣瑞生, 石井杏奈, 清水尋也, 富田望生

やっぱりこの映画は面白い。これは原作の力でもあるが、さすが成島出監督である。八日目の蝉で観客をどんどん引っ張っていく力がすごかったが、この作品もそうである。前後編一気に見てしまった。小説はもっと長いらしいが、映画は2本分これで十分というのが感想。
僕はこの映画をミステリーとは思わないし、最後の結末はそれなりに見えていた。それよりも主人公の必死になって真実を突き止める姿勢が良かったの最後まで一気に見てしまったのである。
中学生が判事・検事・弁護士として裁判をおこなう異例の出来事である。実際にあんな古い権威の象徴のようなところでは起きないだろうが。
それは最後に藤野涼子自身が自分の罪の告白につながることを覚悟していることである。この学校内裁判に贖罪のような厳しい気持ちで挑んでいるのである。彼女のひたむきさや、他の生徒たちの個性や仲間意識が見ていて楽しいのである。そして神原和彦自身の身の上と最後の真実の告白があるからである。

この学校内裁判で生まれたものは、確かに柏木卓也の自殺の真実がわかったのだが。
自殺した柏木卓也に対するクラスメートや友人のの罪の意識が最初あったとしてもこの裁判を通じて、その罪の意識は薄れる方向にしか向いていないのは残念である。本当なら彼の苦しみをどのように汲み取れば、自殺は防げたのかについては議論されないで終わってしまっている。

ストーリーの展開では、三宅樹里がどれほど強い気持ちで大出俊次を罪に落としれたかったのかわかる。裁判のでの証言では、友人だった浅井松子の死まで利用していた。そして最後にやっと三宅樹里が浅井松子の両親に誤ったことで、誰が裁かれたがわかるのだ。ソロモンの偽証という題名からも、告発文からはじまり学校内裁判の中でも三宅樹里が虚偽の証言をした。当然学校内の裁判だから罪にはならないが。最後に神原和彦と藤野涼子が自分自身の罪の告白をして裁判が決着をした。その過程を見た三宅樹里、彼女自ら浅井松子の両親に謝るところが、この映画の本当のテーマなんだろう。言うなれば、知恵者たちの裁判によって、今まで頑なに嘘の証言をしてきた者に対して罪の意識をもたせ真実を告白させたことがテーマなのだろう。

気になる点は、柏木卓也と神原和彦の人間像である。
自殺した柏木卓也である。彼は周りの人間を責め傷つけるのだが、自分を責めているそぶりがない。本当に自殺したいのなら、人を責める前に自分も責めるはずなのに。結果的に、神原和彦をゲームに誘い、彼を傷つけるつもりだったのがうまくいかなかった。そして自分の思い通りに自殺して最後まで神原和彦を責め続けた。おそらく藤野涼子も同じように傷つけるために、あの言葉を発したのだろうが。それにしても柏木卓也のキャラクターは異常すぎるのである。彼の病的な目は何を意味しているのだろう。彼の中に狂気があった可能性が否定できないのである。

神原和彦については、幼少期の悲劇的な事件と、今回の柏木卓也の自殺と関連性であるが。何か不思議である。彼と柏木卓也が親友であることが結びつかないのである。おそらく小説には彼らが親しくなったきっかけなどが描かれているのかもしれないのだが。

言うなれば、裁判では柏木卓也の異常性と自殺が明らかになったこと。神原和彦の生い立ちが明らかになり、柏木卓也を見殺しにした罪の意識、藤野涼子のクラス委員として模範生徒でありながら、大出俊次のいじめから二人を救えなかった罪の意識と柏木卓也からの責められたことに対する大きな心の傷を癒したに過ぎないのである。クラスメートは、ただの自殺だったからすっきりしたのだろうか。神原は判事に「僕を殺人罪で裁いて下さい」と言い、責任を負おうとしていた。それに対して涼子は、ここにいる誰もあなたを裁くことはできないと言ったことについては、藤野涼子は裁くことはできないのは確かである。柏木卓也の自殺を止めることができなかったという、感情論的にはクラスメートは同罪なのは確かである。しかしながら裁判という形式なら本当は裁かれてもいいはずと思うのは僕だけだろうか。そしてクラスメートも裁かれなくてはいけない。単に大出俊次を無罪にするだけでは結論は浅すぎるとも思えるのだが。

なぜか自殺した柏木卓也のヒューマンな面はどこにもないのである。どうしてだろう。もっとも柏木卓也がノーマルないじめに悩み鬱状態になって自殺したならこのストーリーの展開はどうなっていたのだろうか?

そして最後に学校の教師である。やや画一的に描かれているの。なんとういか生徒に対する敵味方、もうもしくは不能であるように描かれている。でもやぱり教師は事実、画一的だから仕方がないか。
柏木卓也の藤野涼子に言った言葉

なんで助けてあげないの。ホームルームでいじめは止めましょうと言ってたよね。
見て見ぬ振りはやめようと言ってたよね。
正直に言えば、自分もいじめられるのが怖かったでしょう。
卑怯だよ。
そういうのを口先だけの偽善者というんだよ
お前みたいなのが一番悪質なんだよ。

僕はこれは、藤野涼子に向けられただけでなく、一番これを誰にか言いたいかはわかっている。それは学校関係者である。偽善的な正義を教えるが、本当の正義を自ら行わない教師に向かって行っているのである。優等生は、教師の言葉を言わされているだけで、自らは実は動けないのである、

裁判の中にマスコミが入っているのはどうだろうか?これは学校内裁判ならもう少しプライバシーを重視したような形態にしたほうが良かったと思うんだが。

この小説の続編の負の方程式では、藤野が、だれかと結婚した、そして神原もだれかと結婚したと出てくるのだが。映画では藤野は結婚して名前が変わっていたが、神原ではなかった。ただ神原は養子になっているので元の苗字は違うのだが。
前編はAdagio per archi e Organo in sol minore アルビノーニのアダージョ 日本や欧米で葬儀のとき最も使われている曲の一つ(カラヤンのアダージョにも収録されている。)
後編はエンドロールにU2のウィズ・オア・ウィズアウト・ユーが流れた。懐かしい。

ソロモンはイスラエルの王、ダビデの二人目の子供である。彼は、神から何でも願うものを与えようと言われた時に知恵を頼んだのである。ソロモンは王として、知恵を持ち、裁きを行ったようである。特に子供のことで争う二人の女の一件は有名な話である。

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