エリアフ・インバル指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 愛知県芸術劇場コンサートホール

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elafinbalueharaayako.jpgエリアフ・インバル指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 愛知県芸術劇場コンサートホール 2017.3.20

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」ピアノ:上原彩子
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
非常にまとまって、それでいて華やかな演奏だった。上原彩子の演奏は初めて聞いたが、落ち着いた演奏で抑制が効いている。オーケストラのバランスも調和という感じだろう。
上原彩子にとっては名古屋は地元みたいなものか、育ったのが、岐阜県各務原市だから。

マーラーの交響曲第1番 ニ長調「巨人」は最初から最後まで素晴らしい。どうしてこれほどの構成力、最後までの集中力があるんだろうか。
まさにこれがマーラーであると思わせる演奏だった。日本では僕はあまりスタンディングオベーションをしないが、これはしてしまった。それほどすばらし演奏だった。

コンマスが、日本人の日下紗矢子なんだけど、やっぱり弦のさばきや音の出し方が素晴らしい。



エリアフ・インバル(指揮)
イスラエル生まれ。インバルという姓は芸名であり、本名はエリアフ・ヨーゼフ
エルサレム音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、その後レナード・バーンスタインの推薦によりパリ音楽院に学んだ。
26歳の時にカンテッリ指揮者コンクールで1位を獲得
1974年にフランクフルト放送交響楽団の音楽監督
2001年ベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)の音楽監督(2001年〜2006年)
2009年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(2009年〜2012年)
2016年80歳となった。
現在も名誉指揮者として籍を残すフランクフルト放送交響楽団の任期中(1974-90)に、多数の受賞(ドイツ批評家賞、ディスク大賞)を誇る録音を行い、特にマーラーとブルックナーの解釈で国際的に称賛された。また、ショスタコーヴィチの交響曲の解釈に対しても特別な評価を受けている。
1990年、フランス政府よりフランス芸術文化勲章オフィシエに叙せられる。2001年2月、ウィーン市より有功金章受章。2006年、フランクフルト市よりゲーテ名誉章、及びドイツ共和国より有功勲章を受章。

グスタフ・マーラーの交響曲を得意とし、全集も録音している。ブルックナーの交響曲の録音では交響曲ヘ短調、第0番、第9番の復元終楽章、序曲ト短調を含む全集を完成。
インバル指揮/フランクフルト放送響によるマーラーの交響曲全曲録音のディスクは、文字通り"衝撃"をもたらし、「インバルのマーラー」は広く知られるようになった。鮮やかなオーケストラ・コントロール、陰影に富んだ表現、ダイナミックなクライマックスなど、マーラーの交響曲1曲1曲が多彩に描き出された演奏は、録音当時から30年を経た今もまったく色褪せない記念碑的な演奏となっている。


ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
1952年創立。旧称ベルリン交響楽団(Berliner Sinfonie Orchester)。ベルリンのコンツェルトハウス(旧シャウスピールハウス)を本拠地とするオーケストラ。2006年に現在の名称となった。(1966年、西ベルリン(当時)に創立されたベルリン交響楽団(Berliner Symphonikerとは別団体)
クルト・ザンデルリンクの首席指揮者在任期間中(1960〜77)に欧州の名門オーケストラとしての存在を確たるものとした。年間に最高100回のコンサートをコンツェルトハウスで行うほか、欧米各国、日本、中国等で公演を行う。また国内外の音楽祭にもたびたび出演している。ザンデルリンク以降の首席指揮者にギュンター・ベルビッヒ(1977-83)、クラウス・ペーター・フロール(1984-91)、エリアフ・インバル(2001-06)等がいる。2010年にオーケストラ・アカデミーを創立し、次世代の演奏家の育成にも力を注いでいる。現在の首席指揮者はイヴァン・フィッシャー(2012―)、ドミトリー・キタエンコが首席客演指揮者を務めている。
2008年からは日本人の日下紗矢子が第1コンサートマスターを務めることになった。


《マーラーの交響曲第1番「巨人」》
「エモーションが本当に豊かな作品です。自然界の音、マーラーの若き日の体験などが、遠くから聴こえるファンファーレなど斬新なオーケストレーションで描かれている。第1楽章のテーマは自然と愛。第2楽章スケルツォは劇的で、第3楽章は民謡〈フレール・ジャック〉を用いた葬送行進曲。悲劇的な曲想に、中間部では突如として俗っぽいメロディが接続される。このような曲は、かつて音楽史には存在しませんでした。第4楽章はカタストロフに始まり、やがて祝祭的なフィナーレとなります。このフィナーレは人生の全て、あるいは人生が終わった後の世界まで表しています。マーラーは"私の交響曲には全宇宙が現れている"と語りましたが、第1番の交響曲で既に"世界の全て"が表現されているのは驚くべきことです」
 ちなみに、インバルは〈花の章〉(《巨人》第1稿の第2楽章で、初演の7年後にマーラーがカットした)には関心がない様子。マエストロはブルックナーの第1稿の魅力を世界に知らしめたことでも有名だが、マーラーの初期稿に興味はないのだろうか。
 「マーラーとブルックナー、2人には大きな違いがあります。マーラーは自身が優れた指揮者でしたから、交響曲を自ら演奏する中で、より良いものへスコアを手直ししていった。ですから、彼の場合は最終的なヴァージョンが最も良いものなのです。〈花の章〉は、マーラー自身がカットしたわけですから、その決定を正しいと判断して、交響曲第1番の演奏には不要だと考えています。
 対してブルックナーは、もともと革命的なアイデアがあって、それをスコアに書いたものの、当時の人々には理解されなかった。演奏も難しかったので、彼の改訂稿は妥協を強いられた面がありました。第3番、第4番、第8番など、改訂稿にも良いところはありますが、やはりブルックナーの場合、第1稿こそ彼が一番書きたかったことだろうと。ですから私は、どれほど演奏が困難でも、ブルックナーが望んだ音を実現したいと思いますので、第1稿を採り上げるのです」

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