国語勉強資料


頗る すこぶる
① 普通の程度をたいそう超えているさま。非常に。たいへん。「―元気だ」頗る自在な書き方をしている。
② 少し。わずか。ちょっと。「みなこそ忘れ侍りにけれ。―おぼえ侍るなり」〈大鏡時平〉

筐底 きょうてい
箱の底。箱の中。
長く筐底に蔵していたが、

輻輳・輻湊 ふくそう
方々からいろいろな物が一か所に集まること。こみあうこと。「事務が―する」「船舸来て―する地」〈伊沢蘭軒鷗外〉

天目茶碗 - 室町時代を中心に中国(宋)から日本へ輸入され、日本の茶人の間で珍重された。曜変天目、油滴天目、玳玻天目などが著名。


賜死(しし)とは、死刑の一種。君主が臣下、特に貴人に対して自殺を命じること(単純に君主の命令(王命)による死刑を賜死と呼ぶこともある)。通常は、「死を賜う」という漢語は君主側の視点で「死を与える」という意だが、近世以後の日本語においては臣下の視点で「死をもらう」という正反対の意にも用いられる。本項の解説において混乱を避けるため、便宜的に臣下側は「賜死を受ける」というような表現を用いる。

忝い・辱い かたじけない 身にあまる好意親切に対して)感謝にたえない。ありがたい。「御配慮の程まことに―く存じます」
分に過ぎた処遇に対して)おそれ多い。もったいない。恐縮だ。「―く汚げなる所に年月を経て物し給ふこと,極まりたるかしこまり」〈竹取物語〉

蹲・蹲踞 つくばい、つくばひ
茶庭などに据える手水(ちようず)鉢。つくばって使うように鉢を低く構え,左右に湯桶(ゆおけ)灯火を置く湯桶石手燭(てしよく)石を配し,使い手の乗る前石を据えるのが定式。茶室では心身の塵を払うものとして重視する。据え方により立ち使いの形式もある。

日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。


松籟 しょうらい
松に吹く風の音。まつかぜ。松韻。


深更 しんこう
夜ふけ。深夜。「団交が―に及ぶ」


縋る すがる
① 頼みとしてしっかりとつかまる。しがみつく。「母の腕に―る」「手すりに―って階段をのぼる」「松に―りて危うき厓下を行く事少時」〈ふところ日記眉山〉


昵懇 じっこん
《「昵」は、なれしたしむ意》親しく打ち解けてつきあうこと。また、そのさま。懇意。「―な(の)間柄」「―にしている家」


陋屋 ろうおく
狭くてみすぼらしい家。また、自分の家をへりくだっていう語。陋居 (ろうきょ) 。

初更 しょこう
五更の第一。およそ現在の午後7時または8時から2時間をいう。一更。戌 (いぬ) の刻。甲夜 (こうや) 

幽か/微か かすか
やっと感じ取れる程度であるさま。はっきりとは認められないさま。「―な物音」「―な記憶」

捌く さばく
入り乱れたりからんだりしているものを解きほぐす
裾を-・く」 「(相撲デ)さがりを-・いて仕切りにはいる」
扱いにくいものをうまく扱う。また,道具などを使いこなす。 「馬の手綱を巧みに-・く」 「飛車をうまく-・く」 「包丁を-・く」
物事を手際よく処理する。 「山のような仕事を一人で-・く」


侘数寄常住、茶之湯肝要

大服 おおぶく
1 茶や薬を一度にたくさん飲むこと。

仕る つか‐まつる

1 「する」「行う」の謙譲語。目上の人のためにあることをする。また、自己の「する」動作を、話し相手に対しへりくだる気持ちをこめて丁重に言う。いたします。現在では古風で堅苦しい言い方。「私がお相手を―・りましょう」「いえいえ、どう―・りまして」
2 「仕える」の謙譲語。お仕え申し上げる。


拉する らっする
無理に引き連れて行く。拉致(らち)する。 「婦女子を-・し去る」 「与次郎は三四郎を-・して/三四郎 漱石」

綻びる ほころびる
①縫い糸が切れて合わせ目が開く。 「袖付けが-・びる」
②つぼみなど,固くとじていたものが少し開く。 「梅が-・びる」

采地 さいち
領地。知行所。采邑 (さいゆう) 。


齟齬 そご
(スル)物事がうまくかみ合わないこと。食い違うこと。ゆきちがい。「両者の意見に―をきたす」「計画が―する」

芳情 ほうじょう
他人を敬って、その思いやりの心をいう語。芳志。芳心。「御―感謝致します」

縋り付く すがりつく
1 頼りにしてしっかりとつかまる。「泣きながら―・く」
2 たのみとする。頼る。「先生の一言に―・く」

強毅 きょうき
意志が強いこと。精神が不屈であること。また,そのさま。 「其民亦倹樸-にして豪爽不屈の気あり/明六雑誌 3」


台子・臺子(だいす)は茶道の点前に用いる茶道具で、水指など他の茶道具を置くための棚物の一種。真台子・竹台子をはじめとして様々な種類がある。一般に格式の高い茶礼で用いるものとされており、とくに真台子は献茶式などで用いられている。真台子を用いた点前は、茶道の点前の精神的・理論的根幹を成すものと考えられており、奥儀・奥伝・奥秘などと呼ばれて最後に伝授される習わしである
古田 重然(ふるた しげなり[1]、ふるた しげてる[2])は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。


武野 紹鴎(たけの じょうおう、文亀2年(1502年) - 弘治元年閏10月29日(1555年12月12日))は、戦国時代の堺の豪商(武具商あるいは皮革商)、茶人。正しくは紹鷗だが、一部の日本語環境では表示できないため、本項では「武野紹鴎」と表記する。
幼名は松菊丸。通称は新五郎。名乗は仲材。


村田 珠光(むらた じゅこう、応永29年(1422年)または30年(1423年) - 文亀2年5月15日(1502年6月19日)または7月18日(8月20日))は、室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者と目されている人物。なお僧であったため、本来ならば苗字は記されないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。

方丈
1辺が1丈(約3メートル)の正方形。1丈四方。また、その広さの部屋。「―の間 (ま) 」


豪かった えらかった
偉い

眼目 がんもく
1 目。まなこ。
「委員等が最も其の―を注で、熟視するの人物は」〈竜渓・経国美談〉
2 ある物事の最も重要な点。「会議の眼目」

跡見の茶事
茶事七式の一。茶会のあとで、参会できなかった希望者に、その道具の取り合わせや趣向などを見せるために行う会。

方丈
1辺が1丈(約3メートル)の正方形。1丈四方。また、その広さの部屋。「―の間 (ま) 」

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