舞姫 川端康成 1951

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舞姫 川端康成舞姫 川端康成 1951

舞姫は、森鴎外の小説が有名であるが、これは川端が書いた、バレリーナの話である。
敗戦後の八木家の四人家族の、ゆっくりした崩壊を描いている。波子と品子の話が中心に描かれている。

川端が作中で初めて魔界という言葉を用いた作品である。
仏界易入 魔界難入、仏界、入り易く、魔界、入り難し
川端が魔界について語っているが、その意味をもっと難しくしてしまっているようにも見える。
川端は、意味はいろいろに読まれ、またむづかしく考へれば限りないでせうが、
「仏界入り易し」につづけて「魔界入り難し」と言ひ加へた、その禅の一休が私の胸に来ます。
究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願ひ、恐れの、祈りに通ふ思ひが、表にあらはれ、
あるひは裏にひそむのは、運命の必然でありませう。
「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る方がむづかしいのです。心弱くてできることではありません。

友子と品子がお風呂に入っている時に、友子が品子に、仏の手を一緒に踊ってほしい、私は仏を礼拝する飛鳥乙女を踊りたいと願うところがある。
品子が"薬指のさきを、親指の腹につけて、その観音か弥勒かの、手つきをしていた。そうして顔もおのずと仏の思惟に誘われて、
こころもちうつ向き、しずかに目を閉じた。"
そこの表現が非常につくしい。美しい女性が仏の姿勢をとる。それもお風呂の中で、それは夢幻のように美しいのかもしれない。

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いつもの川端の小説らしく、最後の結論ははっきりとわからずに終わる。
波子は、心の中にある竹原への愛をはっきりと自覚するようになる。そして夫の八木から心が離れていく。
品子は、友子との別れ、そして野津から迫られたことで、昔に好きだった香山に対する愛情が強くなり最後に会いにいく。
竹原は、波子との愛情を深め、八木が波子に内緒で北鎌倉にある実家の名義を自分のものに変えていることに気づく。

川端がおのれに忠実なリアリストとして、描いたのが八木である。明らかに、八木は悪であることが'最後にわかる。
観察者として、科学者のような冷厳な眼で第三者的な立場で一家を眺め、波子を批判しながら、自分の利益のために波子の財産にたかっている。
波子も品子も八木の世界に囚われているのかもしれない。そこからは逃げ出せないようになっているが、
最後に八木の悪事が明らかになり、品子は香山のところに向かうところに、八木の魔法が溶けたような終わり方である。
今まで川端は、伊豆の踊り子、雪国、山の音などで観察者として自分を描いてきたが、
何かストーリーの中では、ただの観察者で能動的に動かない人物であったが、今回の八木は観察者ではあるが、明らかに悪者になっている。

仏の踊りと魔界の関係はどうだろうか。川端は、魔界との対比で仏の踊りを出しているようにも見える。
明らかに品子は仏である。この動きのある舞いのすがたの美しさと、八木静かな佇まいの中にある魔界とがしっかりと対比されているように思われる。

川端は他にもパレエの話を書いている。花のワルツである。他にも浅草のダンサーの話など舞いにまつわる話が多くある。

波子 
裕福な家庭に育った元バレリーナ。戦争が激化したのを機に舞台を退いている。
夫の八木は、国文学科出の日本文学史家で、収入が少なく波子の金で生活をしている。
北鎌倉にある元実家の別荘に家族四人で住んでいる。自宅と、日本橋の稽古場でバレエ教室を開いている。

矢木元男
国文学科出の日本文学史家であり、波子の家庭教師だった。
戦争恐怖症。日本が負けて八木(自分)の心の美が亡んだ。自分は、古い日本の亡霊だ。と波子に言っている。
波子の財産にたかり波子の父の形見の懐中時計も自分のものにしている。
最後に悪を晒すことになるのだが、彼は魔界に入っているのだろうか。

品子
21歳。波子と矢木の娘。子供の頃から波子にバレエとピアノを教えられて来た。戦争中に一緒にバレエをしていた香山のことが忘れられない。

竹原
20年前の波子の元恋人。波子と会っているが、深い関係にはなっていない。妻があり、事業で成功している。

日立友子
24歳。バレリーナ。波子の教室の助手。好きになった男性には妻子がいて、その二人の子供が結核にかかり治療費がいるために、バレエ教室をやめて浅草のストリップ劇場に努めることを決心している。