花のワルツ 川端康成 1951

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花のワルツ花のワルツ 川端康成 1951

短編が3つ、中編の花のワルツが収録されている。日雀には異論がある人がいるかもしれないが、どれも女性が持つ魔性のような魅力が描かれている。


イタリアの歌 1936

冒頭、唐突に火だるまになった人間が描かれている。この描き方がすごい。なんの誇張もなく冷徹に描かれている。それがリアリティを増している。
咲子の服にも火がついているのだが、そこの表現がいい。
"咲子のスカアトが裾からちろちろ燃えていた。彼女が身動きせぬゆえか、その焔は童話じみた静けさに見えた。だらりと垂れた手の袖も燃えていた。"
その後は、二人が入院した病院の中が描かれている。病院の中の噂話、そして扁桃腺的手術を待つ子供たち、材木問屋の妻、老夫婦の会話などが。

"あの火に包まれた時、心と体のどこかに、年を取ってしまったところと、子供にかえったところがある。それがまだ調和せずに、彼女のうちで闘争している。
そのせいでヒステリックになるらしい。"
どうしてこんなことが書けるんだろうか。すごいね。

"咲子の歌声が流れて来た。低いけれども、生の喜びの湧き上がる肉声であった。
なんということなしに、家なき子のイタリアの歌を歌い始めた。涙が流れるにつれて、声は明るく高まって来た。
明日の朝は胸いっぱいの力で歌ってやろうと思った。"
咲子の複雑な心情が鋭利な刃物のように描かれている。そして読者の心をえぐる。

恋人ともはっきり言えぬ二人なんだろう。遠い外国で二人っきりになったら、きっと結婚するだろう、そんな二人の間の話が思い出された。
と描かれているから。彼女には鳥居博士が正式な婚約者でもないことがわかっていたし、彼の死にも幾分彼女の責任がある。
だから彼女は、スカアトが燃えている時に動揺して動けなかったのだろうか。

題名のイタリアの歌はなんだろうか?これを調べて見ると家なき子の映画が、日本で1935年に『家なき兒』として公開されている。
主題歌は、『家なき兒』(作曲:田村しげる・歌:東海林太郎)であるがこれではないだろう。
原作にあるのはナポリ民謡で「Fenesta Vascia」(低い窓)ということだ。この歌は、恋人を思っている女性の愛の涙の歌である。

開かない窓

冷たいあなたの窓は開かず
どれほど私はため息を繰り返したことか。
私の名前を呼ぶあなたの声を聞いたなら
この心はキャンドルの炎のように燃えるだろう。

たとえ雪が降って手が悴んでも
きっとあなたは私につらく冷たく接する。
私が死ぬのを見ても、助けてもくれないのだろうか。

私は少年になって
壺に水を入れてこのあたりを売り歩きたい。
そして叫ぶのだ。
「ああ、愛しい人達よ! 水は要りませんか?」と

すると上の女性が振り向いて言うだろう。
水売りのこの少年は誰なの?
私はやさしく答える。
これは水ではなくて、愛の涙なのだと。


花のワルツ

花のワルツ」とはチャイコフスキーのバレエ組曲 くるみ割り人形の最後を飾る有名な曲

冒頭からすごい、花のワルツを踊り終わって幕が降りきらないうちに、バランスを崩して鈴子が星枝に平手打ちをする。そして星枝さんとはもう一生踊らないと言う
鈴子の反応がすごい。二人の強い確執がよく現れている。
このアンコールの踊りの表現がいい。
星枝は耳にも入らぬ風だった。われとわが踊りに憑かれて、われを忘れて行った。楽しげに熱を帯びて来た。
鈴子はそれを見ると、自分の踊りが乱れて来た。身も心も踊りに入りきれなくて、ぎごちなさがからだでわかった。
鈴子は、嘘つき、憎いは、ひどいわ。こわい人。と星枝に言うが、ただ夢中に踊っていた。
負けるものかという風に、鈴子の踊りにも激しい若さが波立って来た。

鈴子は感情的な性質があるのだが、内弟子で、先生の竹内の世話を喜んでしている。
星枝はマイペースであり、他人のことはあまり気にしない。生まれつきのお嬢様である。天才肌の星枝の方が魅力的に描かれている。奔放でありながら、純粋である。
二人は踊りでは、特に鈴子は強いライバル心を持っているが、意外と踊り以外では仲がいい。

洋行から帰ってきた南条は、松葉杖を突いていた。星枝はすぐに伊達の松葉杖であるのを見抜く。南条は、鈴子の踊りでなくて、星枝の踊りを見てまた踊りたくなった。師の竹内の踊りに似ている、天才であると星枝に話す。
踊りをやめたという星枝は、南条に強引に誘われ二人で踊るようになる。そして二人は林の中に消えて行く。このシーンも踊りの魔法にかかった二人のようにも見える。
まさに墓場の中の死人が起き上がって踊り出すようなもの

二人の女性の描き方が冴えている。精緻に、リアルに、そして美しく描かれている。二人の個性の華やかな対称性がはっきりとあるのだが、二人とも一緒のようにも思える。不思議な二人である。
最後はこれもまた、川端らしく結論づけていないが、女性たちの強さが浮き出ている。

それに比べて南条のひ弱さが浮き立っている。まさに傷ついた動物が、魅力ある女性に惹きつけられ、最後の命を燃やすような感じである。竹内も受動的な人間であるように見える。

川端はまさに踊り子の純粋さ、踊りに対する強い心をいつも鮮やかに描いている。


日雀
ヒガラ シジュウカラに属する。オスはシジュウカラよりも速いテンポでツピン、ツピン、ツピンと高木の上でさえずる

上松の大火の記事を見て、素晴らしい鳴き声のする日雀を思い出す。女と上松に行った時に出会った日雀の鳴き声を思い出しては、
その日雀を手に入れなかったの後悔する松雄。彼は妻以外に女を作るのが、いつも長続きしない。

自分の女関係を妻の治子に隠しもしない。そして
"それらの女たちがなぜあんなに早く松雄と別れてしまうのだろうかというのは、容易に解けぬ謎だった。
松雄は別れた女のことをなんの苦もなく忘れてしまえるらしい。"
話の要点であるが、美しい文章である

松雄が愛でた日雀の鳴き声はやはり妻に感動を起こす。
"名鳥の鳴き声は高く澄んで、切ないほど長くつづき、治子の胸を清く通った。彼女は目をつぶって、じっと聞き惚れた。
なにか神の世界から夫の生命に通うものが、一筋に響き渡って来るようであった。治子はひとりでうなずいて涙ぐんだ。"
この最後の文章もいい。難しい文章ではないが、本当に読んでいるものにも染み入る文章である。
この日雀の鳴き声は今までの夫に対する浮気の不満を消し去るほどの心に染み入って慰めてくれるほどの素晴らしいものであった。


朝雲

女学校の女学生の女教師への憧れ、淡い恋心を、独白体で描いた作品。
美し過ぎる先生に対するまっすぐな気持ちと、周りの生徒を気にする恥じらいが本当に上手く描かれている。
そして自分が菊井先生に感じた気持ちが鮮烈に描かれている。

菊井先生が渡廊下の古い窓から見上げていた姿、あの方の雲はその土地その土地で形が違うと聞いたという話
あの方の美しさが私を刺し貫くように感じた。
自分のうちのなにかが目を覚ました。それが青春というものでったろうか。
まるであの方を突っ放すように無愛想な返事だし、あの方に反感を抱いているような素振りをわざとお見せしたこともあった。
あの方は美し過ぎるもの。

最後に先生が自分の町を去る時の表現も素晴らしい。
あの方の汽車をかくした山際には朝雲がかかっていた。その雲のなかから、あの方の
お手を振っていらっしゃるのが見えるようだった。私を見つめていてくださるようだった。
初秋の朝の微風があった。

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