La Grande Bellezza The Great Beauty グレート・ビューティー 追憶のローマ2013

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La Grande Bellezza The Great Beauty グレート・ビューティー 追憶のローマ2013

監督: パオロ・ソレンティーノ
出演: トニ・セルヴィッロ, カルロ・ヴェルドーネ, サブリナ・フェリッリ

第86回アカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞

この映画の感想はまとまりがない。毎回見るごとに感想が変わるのである。まだまだ空中分解をした印象のままである。それがこの映画のいいところなのかもしれない。この映画を見るには、かなり集中力がいるようだ。でもその見返りは十分にある。

退廃的な上流社会の生活を描いている。65歳になったジェップの周りでも人が死んでいく。どんな成功した人間でも年老いていく。だれもが年老いていくのである。
小説は一作のみの作家ジェップ65歳が考える、人生には無駄は必要無い。自分ももう少しで死ぬのである。時間がないのである。響宴は一瞬の楽しみである。

最初はどんなストーリーか全くわからなかったが、次第になんとなく何がこの映画のテーマかわかってくる。1回見るだけではわからない。ジェップの昔の恋人エリーザの死をきっかけに、今までの生活がなんとなく違う色を見せてくる。どうして彼が書くのをやめたのか。彼が求めたグレート・ビューティーとはなんなのか?

I Lieの荘厳な音楽が流れる中で、最初にどうして日本人観光客が倒れるのだろうか?と思ったのだが。よく考えると日本の繁栄が終わったことを示しているだろう。

次に展開するイタリアのパーティ。印象的な音楽とダンスである。まさに日本のバブル見たいな光景が展開される。ダンスがみんなうまい。
曲は、Far l'amoreとMueve La Colita (Remix 2012)である。二つの曲の中で、男女が向かい合って踊るのは、何かインドの映画見たいだが、こういのも何か昔の日本みたいだが。イタリアの上流階級のパーティーである。誰も虚栄の中で生きている。

不思議な仲間たちである。その中でも小人症の編集長がいい。独特なこの映画の雰囲気を際立たせている。ジェップと彼のお手伝いとの会話がいい。

この映画は、虚栄と死を描いているのだろうか。ローマもそのような時代を経てきたのである。ジェップの周りにあるローマは、歴史的な壮大さと美しさそして現代のローマの文化によってローマも様相を変えている。
ローマの夜の街をジェップが放浪する、歩き回る、暗い雰囲気が漂うローマの街をふらふらと歩く。彼のすました笑いと、悲しい表情が印象的である。浮世離れしているということだろうか。どこか虚栄の中で生きていながら、達観して虚しく生きている。
ジェップは、ベッドに横たわって天井を見ると、昔、エリーザと出会った海を思い出す。そして65歳になるともう無駄なことはできないと言って、女のところが去るのがいい。

夜の屋敷を訪れて古代のローマの芸術を楽しむシーンがまたいい。
ローマは、歴史的な建造物や美術品、最先端のファッションや現代アートが混在する永遠の都である。しかし柱にぶつかるパーフォマンスの女性、少女が絵の具を投げつけながら、全身で描く絵など。これらは、本当の芸術ではない、グレーとビューティーと言えない。ここに現代の文化に対する皮肉がある。


昔の友達の娘、ストリッパーのラモーナと付き合うようになるのだが。彼女は死んでしまう。彼女は踊って得たお金を全て治療代にしていた。ジェップ解いた時に彼女は死んでいたのだろうか??僕にはそう思えないが、ベッドで横たわっていた彼女の雰囲気には死に対する予感をさせる雰囲気があったが。その時はもう死んでいたのではなくて、その後ジェップと過ごした後いつかわからない時に死んだ可能性が高い。たた彼女の死は突然だし、急に消えてしまうのである。

彼の周りではみんなが死んでいく、そして友人はローマを去っていく。
人の死はトリックのようなものである、キリンと同じように忽然と消えるのである。

シスターマリアが、ジェップの部屋で眠っているのも不思議だが、その朝にベランダにフラミンゴが集まっていた。104歳になっても生きている聖人は、奇跡を起こす。 彼女はフラミンゴのすべての名前を覚えているというし、彼女の一拭きで一斉に旅立って行った。美しいシーンである。

シスターマリアがもうしわしわになっても生きている。そしてシスターマリアに挨拶する尼僧は、そうだ、あのボットクスの男のところに行っていた人だ。尼僧がボトックスを打たなくはいけないのだろうか??
聖書者たちの腐敗、堕落も映画では描いている。聖職者がクリスタルをオーダーするシーンるが、実際に飲んでいるシーンはないのだが。

教皇の次候補の枢機卿は、外交的である。あまり真摯な感じがしない。なぜジェップはエクソシストにこだわったか?死後の世界と関係を知りたかったのだろうか?


誰もこの映画の中では死んでも姿を見せない。最後に橋から川に飛び込んだのは、ジェップだろう。しかしあれは、彼女と出会った海を思い出すためだったのではと思うのだが。ただ自殺にしてはスイミングスーツを着ていた。どうして教会から修道女が走って行くのはどうして?

最後にジェップは死んでいるんだろうか。あの世で好きな人と一緒になったのだろうか?それとも彼は思い出の仲に戻ったのだろうか?本当にわからない。最後のシーンでシスターマリアが膝で階段を上るのも印象的である。本当の美しさとなんだろうか?
シスターマリアが一人で階段を上る姿であるし、ジェップが思い出すエリーザである。ローマの遺跡でもなく、毎夜繰り広げられるパーティーでもないんだろう。

結局それはすべてがトリックなのだ、そうだよただのトリックなのだ。

ジェップはまた小説を書くのだろうか。確かに、ジェップが次の作品を書けなかったのは、エリーザが自分を愛していないと思っていたからである。でもエリーザは死ぬまでジェップのことを思い続けた。ジェップにとってのグレート・ビューティーとは、エリーザとの思い出である。だからこそ、彼はもう一度小説が書ける。
自分が愛したものは、死によって急に自分の前からトリックのように去ってしまう。しかし彼らは、自分の心の中で美しい記憶として生き続けるのである。

この映画には何か冒険がある。ジェップがインタヴューしたり、出会ったりする人々はいつも不思議である。そしてそこに小さな冒険がある。いつものありきたりな出来事ではない。ところが、いつも毎夜繰り広げられるパーティーでは、ありきたりな会話ばかりである。

教祖のような男が、注射をして金を取っている。いろんなん人を呼んで何かを注射しているんだが、あれはドラッグなのか?ボトックスらしい、

昔の恋人エリーザの夫は、新しい彼女ができておそらくロシア人で名前は、ドストエフスキーの賭博者のヒロインの名前。

パーティーで女性が寝ながら歌っている歌は、 ユーズリミックスのThere Must Be an Angel (Playing with My Heart)である。プロローグで女性たちが歌うI Lieや、The Lambとい言った宗教音楽がいい。そして美しい。

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