La danza de la realidad リアリティのダンス 2013

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La danza de la realidad リアリティのダンス 2013

監督: アレハンドロ・ホドロフスキー
出演: ブロンティス・ホドロフスキー, パメラ・フローレス, イェレミアス・ハースコヴィッツ, クリストバル・ホドロフスキー, アダン・ホドロフスキー


軍事政権下のチリの田舎町トコピージャでの生活を中心にアレハンドロ・ホドロフスキーの子供時代を描いている。アレハンドロと父ハイメ、母サラの話である。父ハイメを演じているのが、息子の息子のブロンティス・ホドロフスキーである。これは、母サラがアレハンドロが母の父の生まれ変わりというところに奇妙に関連する。
母と父の関係、母が彼に期待していたこと、父が彼に期待していたことが重圧のように描かれている。自分の自伝あるが、描いている中心は父である。父に対して強い反感は持っていたがそれ以上に愛していたのだろう。

父がアレハンドロをサーカスに連れて行き、父の男らしさを見せつけたり、母がつけさせた金髪のカツラも取るのも、父ハイメの独裁的な教育であり、アレハンドロを男らしくなるように教育される。そして町の消防隊のマスコットとして赤い制服を着せられた。

子供の頃に出会った女性や好きだった少女が出てこないのが残念。そしてアレハンドロと彼の友達の関係も微妙である。
ピノキオとアレハンドロが呼ばれていたのは、ロシア系ユダヤ人で肌が白く鼻が高かったためであるが、そこは映画では説明がない。友達たちとの秘密の遊び、マスターベーションもユダヤ人の割礼をしたペニスを指摘され馬鹿にされている。
赤い靴あげた中のいい友達は靴のせいで死んでしまう。

母がオペラのように歌っているのは、母がオペラ歌手になりたかったのを映画の中で実現させたと アレハンドロ・ホドロフスキーはインタビューで話している。
母サラは、何かの魔法をかければ誰にも見られなくて裸でも大丈夫とアレハンドロに言うのが、母がなぜヌードで酒場を歩いているか意味不明。父がペストの人たちに病を移されて、小水をかけて治すシーンも衝撃的である。
こうした母の不思議なシーンはチリの神話に関連しているのかもしれない。ちょっと理解できないところである。
映画のシーンで素晴らしいのは、山の中にいるペストにかかった多くの人たちが、同じ衣装を着て傘をさして降りて行くところだ。波が運んだ大量の魚が舞い落ちてくるのは面白い。

後半は、父の人生の葛藤、独裁的な性格を批判的に描いているところが多い。

なぜかハイメはペストにかかった人々たちを助けようとする。こうした正義感にあふれるところがアレハンドロは好きだったのだろう。唯、戦争によって不具者となったものに対してはやや厳しい態度をとる。

共産党員であるハイメは、カルロス・イバニェス大統領の暗殺を企てるが失敗する。なぜハイメが、大統領の愛馬のブケパロスの死をきっかけに、両手が麻痺をしたのはどうしてだろうか?記憶喪失になり家に帰れなくなったのか分からなのだが、これは最後の妻サラの言葉と手が治ることから意味がわかる。そして妻のサラが、チリの独裁者イバニェスに、あなたが憧れていたスターリンと同質なもの見つけ、そして彼らと自分が同じであること。あたなは、独裁者を装って生きてきたと語ると、ハイメの手の麻痺は治る。
父も自分の中で、イバニェスを暗殺することと、彼を賞賛する二つの気持ちを持っていたこと。そこに自己矛盾を感じて無意識に手がしびれていたのだろう。それをサラが明らかにしたのことで自分の心の中の葛藤が消えたのだろう。

この映画は、ホドロフスキーの人生と隠喩、神話、そして詩を交えて作られている。
監督の視点は、リアリティーを描くのが主題ではなく、むしろ私たちが映画を見て得られるイマジネーションによって作られたダンス(リアリティーとイマジネーションの)が目的である。

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